今回は先日行われた村田・ゴロフキン戦を受けて、この試合の感動をファン目線でおおいに語っていきます。
僕の中では今まで見てきたボクシングの試合で最も感動しました。
もちろん日本人だからというのもありますが、試合までのストーリーも考えると間違いなくベストバウトです。
そんな世紀の一戦からいまだに興奮が冷めないので、今回は試合内容だけではなく、試合までのストーリーもファン目線で語っていきます。
これを機にボクシングまたは格闘技ファンが少しでも増えるといいなと思っています。
それでは、早速、参りましょう!
目次
試合までのストーリー
村田諒太
村田選手のプロフィールをざっくり確認してから、試合までのストーリーを見ていきましょう。
本名 村田諒太
生年月日 1986年1月12日
出身 奈良県奈良市
身長 183cm
プロ戦績 18戦16勝 (13KO)2敗(※試合前)
ボクシングとの出会いは中学生です。その後、ボクシングの名門、南京都高等学校に進学。そこで高校5冠を獲得するなど頭角を現します。高校卒業後は、東洋大学へ進学し、ボクシング部に所属します。全日本選手権で優勝するなど、着実に実績を積み上げていきます。そのような実績を携えて、いよいよ世界の舞台へと目を向けていくこととなります。
ロンドン五輪、金メダル獲得篇
さてここからは、世紀の一戦へのストーリーをもっと詳細に見ていきます。
戦いまでのストーリーを知れば、いかに待ち望まれていた試合だったのか、どれだけのビッグマッチだったかが分かりますよ!
話を今から10年前、2012年「ロンドンオリンピック」まで遡ります。
村田諒太選手はこのオリンピックで体操の内村航平選手、レスリングの吉田沙保里選手らとともに、金メダル候補として期待されていました。というのも、村田選手は前年の世界選手権で準優勝していたので、オリンピックでは優勝するのではないかと目されていたわけです。
一方、世間では
日本人でミドル級は…
という声の方が正直多かったように思います。
※ボクシングのミドル級はアマチュアは75kg以下、プロは72.57kg以下です。
プロボクシングがない国の選手達は、オリンピックを最終目標としている場合が多いのでどうしても熾烈になります。自分だけではなく、家族の人生を背負ってオリンピックに挑戦してくるのです。逆に、プロの選択肢がある国では、オリンピックに固執する必要はありません。「オリンピックで負けてもプロになればいいか」という意識の選手が多くいます。また、プロとアマどちらが稼げるかというともちろん”プロ”です。”名誉”をとるか、”お金”をとるかは人それぞれですが、多くの人が華やかなプロの世界に目がいくのは仕方ないでしょう。どちらのタイプの国の人も代表になっている以上は全力でチャレンジしていますが、どこかでモチベーションの差は生まれそうです。その中で金メダルを獲るのがいかに過酷か、想像に難くないと思います。
そんな世界で下馬評を跳ね返し、村田選手はロンドンオリンピックで見事、金メダルを獲得します。
これは紛れもなく「快挙」です。
”オリンピック”の”ボクシング”の”ミドル級”で”日本人”が”金メダル”を獲得したのです。
凄い要素が色々ありすぎて、もはや意味不明です。ほぼ漫画です。
まず、どの競技でもオリンピックで金メダルを獲るだけでも十二分に凄いです。国によっては金メダル獲れば一生ご飯が食べていけます。
オリンピックのボクシングで金メダルを獲ったのは、1964年の東京オリンピックのバンタム級で桜井孝雄選手以来の快挙です。実に48年ぶりです。2012年時点で、金メダルは二人目ということになります。日本人史上、二人目は凄いですよねぇ。
しかし、「48年ぶりの金メダル獲れて良かったですね」だけで話を終わらせると、あまりに勿体ない。
注目すべきは、
「ミドル級で金メダルを獲得した」
そうです、ミドル級です。
“ミドル級”で金という凄さ
ここでミドル級で金メダルを獲得した凄さを解説します。
体重別の競技をしたことがない人にとっては正直ピンと来ないかもしれません。逆に、体重別の競技をしたことがある人は、世界の重い階級で活躍する難しさを存分に理解していると思います。誤解を恐れずにいうと、一般的に軽量級で代表になるより重い階級で代表になる方が簡単です。(村田選手がいる時代のミドル級で日本代表になるのは最難関ですが)
選手層の面から見てもそれは顕著です。理由はシンプルで、日本の平均体重より重くなるほど選手層が少なくなるからです。どんな世界でも、適性うんぬんを除けば、分母が多いところより少ないところに挑戦する方が成功確率は上がりますよね。
しかし、いざ重い階級で代表になり世界へ挑戦となると、話が180°変わります。
日本では敵なしの強さだとしても、世界選手権ではあっさり負けるなんてことがよくあります。
日本とは違い、世界には軽量級よりミドル級の方が選手層が厚いという国がたくさんあるからです。
平均身長で考えると分かりやすいでしょう。日本とヨーロッパでは5〜6cmほどの差があります。日本人では高身長と言われる177cmでも、ヨーロッパだと平均ということです。つまり、日本で大きいとされる人が外国にはゴロゴロいるわけです。
「日本人でミドル級は…」というのは言い訳みたいで悔しいですが、統計に打ち勝つのは、想像以上に難しいことです。例えば、人口が一万人の国と一億人の国で、どちらが金メダルを獲る人が出る確率が高いかというと、もちろん後者です。
このように層が薄いとされる日本のミドル級代表からオリンピックで金メダルを獲得したことは本当に凄いです。10年前ですが、改めて思います。
村田選手は金メダル獲得後、こんな言葉を残しています。
「日本人にできないと言われていたが、僕にできないとは聞いたことがなかったので、自分はできると信じていた」
金メダル獲得後にこの発言は反則級の格好良さですね。
ちなみに、日本のボクシングは世界でもトップレベルです。
特に活躍している階級はいわゆる「軽量級」です。理由はとてもシンプルで、日本人の体格に合っているからです。プロボクシングでいうと、日本の軽量級のレベルの高さは顕著です。
日本はここ10年ほどで約30人ほどの世界チャンピオンを輩出しています。そのほとんどが軽量級です。日本人の軽量級のレベルが高すぎて、世界戦でも日本人同士で対決することは珍しくないほどです。先程の逆で、日本より平均身長が大幅に高い国の選手が、日本の軽量級の選手に勝つのは相当難しいでしょう。
重量級の方が偉い、軽量級の方が偉いというわけではありませんが、村田選手のように活躍している選手が少ない階級にスター選手が出ると盛り上がるのは当然です。
ゲンナジー・ゴロフキンのチラつき
村田諒太選手が金メダルを獲得した直後、ファンの頭にはある選手がよぎります。
ゲンナジー・ゴロフキン
そうです、この時点でファンは既に妄想していたのです。当時、ゴロフキン選手は既に世界チャンピオンになっていました。
2012年5月には日本タイトルとOPBFタイトルを持つ淵上誠選手とも対戦しており、KO勝ちしています。これはミドル級での日本と世界の差を感じさせられた戦いでした。
そんなゴロフキンと、金メダルの村田の一戦が実現したら凄いことになるぞと。
ゴロフキンはオリンピックでは銀メダルなので、村田の方が上
プロでやってみないと分からない
など様々な妄想でファンは楽しんでいました。
そんな中、村田選手は、「プロになる気はない」と一時、報道されました。
これには日本のボクシングファンは相当な落胆をしました。妄想が夢に終わりました。
しかし、事態は一転。
紆余曲折があり、2013年4月にプロ転向を表明しました。
ボクシングファンは再び熱狂。
またも、ゲンナジー・ゴロフキンがチラつきます。
まだ先だろうけど、もしかしたら、もしかするぞ!
そんな期待の声が多い一方、
ゴロフキンうんぬんではなく、そもそもプロで活躍できる?
という声も多くありました。詳しい人なら知っていると思いますが、ボクシングにおいてプロとアマチュアの差は非常に大きいです。
レベルの差ではありません。ルールが全く違うのです。競技が違うといってもいいでしょう。
グローブの大きさ、ラウンド数、ヘッドギアの有無(2013年時点)など。
このためアマで活躍してもプロで活躍できるかは分かりません。逆に、プロがアマチュアルールでやっても、アマチュアの選手に勝てるわけではありません。もっというと、オリンピック金メダリストが、プロで世界チャンピオンになれなかったケースも珍しくありません。
そんなリスクがあるのも関わらず、村田選手は勇敢にも挑戦を決意したのです。
プロデビュー〜世界チャンピオン篇
プロテストは異例のA級ライセンスのテスト、さらにテレビ中継まで入りました。
プロテストはアマチュア寄りのルールで行われます。そのためここで品定めするという感じではありません。もちろん結果は、合格。晴れてスタートラインに立ちました。
2013年8月25日、デビュー戦の日を迎えました。
相手は、東洋太平洋ミドル級王者の柴田明雄選手です。デビュー戦で東洋チャンピオンが相手です。
当時の柴田選手の勢いを知っていた人は、
デビュー戦で柴田はさすがに厳しすぎる。いくら村田でも苦戦するだろう
という気持ちでした。上記しましたがプロとアマではルールが全く違います。そこをクリアできるのかが最大の見所となりました。ファン達、最初の品定めです。
蓋を開けたら、村田選手の2RKO勝ちです。
この試合以来、村田選手は日本人との対戦はありません。それぐらい日本のミドル級で頭が2つも3つも抜けていることを意識づけされた試合となりました。
2014年7月、村田選手の志願により、アメリカでのゴロフキン選手とのトレーニングキャンプに参加します。ここでゴロフキン選手との初コンタクトとなりました。ゴロフキン選手を間近で感じて、練習量、パワー、また人間性にまで驚いたそうです。
とりわけ人間性には感嘆したそうで、世界チャンピオンという立場でありながら、ゴロフキン選手の謙虚な姿勢には尊敬の念を抱いたと語っています。
トレーニングキャンプを終え、「これが世界のトップオブトップか」と差を感じた一方、「もしかしたら届くかもしれない」という手応えも感じたと語っています。
その後、村田選手は順調に勝ち星を重ね、3年後。
2017年5月20日、ハッサン・ヌダム・ヌジカム(アッサン・エンダム)を相手に初の世界戦を迎えます。
結果は、判定負け。
この試合は疑惑の判定として多くの批判がありましたが、一度出た判定は覆らないのがこの世界です。しかし、正式な抗議により、多くの大人が動いた結果、5ヶ月後の2017年10月22日の再戦(ダイレクトリマッチ)にこぎつけます。
2017年10月22日の再戦では、初戦とは打って変わって、村田選手が1ラウンドから積極的に攻撃を仕掛け、終始リードする展開に持ち込みました。
そして、村田選手は見事7回TKO勝ちを収めます。
竹原慎二さん以来、22年ぶりのWBA世界ミドル級タイトル獲得です。同じWBAというのも熱いです。『はじめの一歩』という人気ボクシング漫画があり、その中で鷹村守という主要キャラがいます。鷹村はスーパーウェルター級、ミドル級、スーパーミドル級で世界チャンピオンを獲るなど、『はじめの一歩』の中で最強のキャラです。しかし、村田選手はオリンピック金メダルを携えて、世界タイトルも獲得。漫画より漫画なエピソードです。
さて、ここでボクシングファンの頭には、ゴロフキン選手の姿、形がさらにくっきり浮かび上がります。
実際、この試合終了後のマイクパフォーマンスの時にも、「ゴロフキン!」と言う野次が飛び交います。
村田選手はそれに反応を見せ、「そこに向かっていきたい」と意志を表明しました。
本当にあるかも。頼む、神様!
その後、村田選手は一度、ロブ・ブラントに世界王座を奪われますが、またも再戦で王座奪還に成功しました。
2019年12月23日、スティーブン・バトラーを相手に初防衛にも成功しファンの期待はもう一つしかありません。
ゴロフキン戦!
この時の試合終了後のマイクパフォーマンスの時、村田選手の口から「リアルな戦いをしたい」と明言しました。
「リアルな戦い」すなわち世界タイトルの統一戦です。
この時点でロンドンオリンピックからおよそ7年。いよいよ世紀の一戦がげんじ
試合が決まらない
ファンが次の試合の発表を今か今かと待ち侘びている中、まさかの「サウル・アルバレス」という、もう一人のスーパーチャンピオンとの対戦交渉に入っているとの報道がありました。
これはこれでファンは大興奮です。世界ではゴロフキン派なのかアルバレス派なのかという論争があるほどの二大巨頭です。
ということで日本のファンは、「ゴロフキンもええけど、アルバレスもええなぁ」と若干浮気気味でノリノリになりました。
その後、残念ながらアルバレス戦は頓挫。さらに新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめ、マッチメイクが一層困難になってしまいました。
ゴロフキンと来年ラスベガスでやるらしいで
またアルバレスと交渉してるらしいで
などなど、噂や交渉はありましたが、なかなか正式に話がまとまることがなく、時は流れていきました。
そして、2021年11月、公式会見で正式に試合が発表がされました。
2021年12月29日、さいたまスーパーアリーナにてゲンナジー・ゴロフキン選手と対戦する
ファンが待ち望んだ瞬間でした。9年前の妄想がやっと現実になりました。
しかも、ゴロフキンが日本での開催。
これ以上ない条件です。年末の一大イベントです。
が、これもオミクロン株の急拡大で延期になってしまいました。「このまま流れてしまいそう」と頭をよぎりました。このように諦め覚悟になっていたファンも多かったと思います。
しかし、4月9日に日程を変更し、試合を開催することが決定しました。
ファン心理はもはや疑心暗鬼です。コロナ禍、国際情勢などまたも中止になる可能性はまだまだあります。だから、もう祈るしかありません。
神様、お願いします、神様
Moneyの話
ここまで熱弁してきましたが、これはあくまでボクシング界の話。いくらボクシング界では有名でも、興味がない人は全く知らないでしょう。しかし、お金の話を聞けば、どれだけ大きいイベントで、どれだけ価値があるのか分かると思います。
というわけで、村田ゴロフキン戦の”お金”に関する話を少ししていきます。
まずチケットについてです。リングサイドA席で22万円です。これは日本のボクシング史上で最高額です。うん、安いですね。世紀の一戦としては安いです。とはいえ史上最高額です。もっと高く売れたはずですが、実に良心的ですね。
続いて、試合の放送の話です。今回の試合、日本国内は「Amazon Prime Video」の独占配信、海外では「DAZN」でのPPVです。新時代の到来を感じさせます。
「地上波放送=最上位」という構図が完全に変化したなと。分かってはいたけど、こういう出来事があると一番理解しやすいです。
海外の媒体を使う理由は、もちろん金銭事情のためです。
まず「DAZN」が絡んでいる理由は、ゴロフキン選手が契約しているからです。そんなDAZNとの折り合いをつけるために交渉が難航したそうです。
そこで登場したのが「Amazon」です。泣く子も黙る「GAFA」の一角。
これまで村田選手の試合は、フジテレビでの放送でした。ただ、今回に限ってはあまりにお金がかかりすぎる。昨今のテレビ業界はただでさえ厳しいので、そこは外資に譲らざるを得なかったのでしょう。とは言え、アナウンサーはフジテレビの人が使われていたので、フジテレビとの関係がなくなった訳ではなさそうです。
後に分かった情報によると、ファイトマネーは両者合わせて20億円越えです。そこにPPVの出来高次第で上乗せされるようです。これは日本のボクシング興行史上最高額です。ゴロフキン選手の移動や滞在費で4000万円以上かかっているみたいです。
ちなみにこれまでの最高は、バブル期の1990年に東京ドームで行われた「タイソンvsダグラス」で、当時のレートで約15億円です。バブル期ならではと言ったところでしょうか。
この様にビッグマッチにはとにかくお金がかかります。それを賄うとなると大きな後ろ楯が必要になります。その中で「Amazon Prime Video」の参戦は大きいです。
Amazon Prime Videoは、日本でのスポーツLIVE配信は今回が初めてです。今年6月の井上尚弥ノニトドネア戦もここでやることが決定しています。こちらも超ビッグマッチです。今後も手助けしてくれるようであれば、この先も日本でのビッグマッチは実現していくでしょう。
日本の民放からすると悔しいはずですが、ファンからすると観れれば良いので、この構図は今後も続くでしょう。
と言うわけで、この時代だからこそ実現できた一戦と言えます。
ちなみに、Amazon Prime Videoの『村田諒太 4.9決戦 勝負の扉』という「村田×ゴロフキン戦」へ向けての村田選手を追ったシリーズがあります。
これを全て見るとさらに試合に対する感動が深まりますよ。
また、『村田諒太 4.9決戦 勝負の扉』という字体が、昔のゴジラのポスターの様な字体を使っているのが素敵です。「怪物との決戦」というのをうまく表現できています。
ゲンナジー・ゴロフキン
参照: YouTube 「MAKSYM『The Best of Gennady ‘GGG’ Golovkin 2012-2016 highlights HD』」
ここまででゴロフキン選手の強さはなんとなく分かったと思いますが、ここでさらに彼の偉大さについて触れます。これを知らないことには世紀の一戦といってもピンとこないですからね。
本名 ゲンナジー・ゲンナジーヴィッチ・ゴロフキン
通称 GGG
生年月日 1982年4月8日
国籍 カザフスタン
身長 179cm
戦績 43戦41勝(36KO)1敗1分 ※試合前
2004年 アテネオリンピックで銀メダルを獲得
2010年8月14日 WBA世界ミドル級暫定王者獲得
2010年10月14日 WBA世界ミドル級正規王者認定
2018年5月5日 WBA王座を19度目の防衛に成功
2014年10月18日 WBA・WBC世界ミドル級王者統一成功
2015年10月17日 WBA・WBC・IBF世界ミドル級王者統一成功
2018年9月15日 サウル・アルバレス戦でプロ初敗戦(判定0-2) WBA・WBC王座陥落
2018年10月5日 IBF・IBO世界ミドル級王座獲得
以上、基本情報です。
まぁ〜、とにかくいっぱい勝ってます。ミドル級の敵という敵をことごとく薙ぎ倒してきました。
格闘技にはパウンドフォーパウンド(PFP)という考え方があります。「もし体重差がなければ、誰が一番強いか」を考えるときに使う用語です。いわばファンの妄想です。
例えば、ヘビー級とミニマム級では体重差が2倍以上あります。その両者が戦えばどうしても体重がある方が有利です。それでは面白くないので、もし同じ階級だったら、どちらがパワーがあり、スピードがあり、テクニックがあるか、つまり全階級で最強は誰かを総合的に考える時に使うのがPFPということです。
そのPFPを正式に発表している最も有名なメディアが『リング』という雑誌です。そこでゴロフキンは2017年にPFP1位に選出されています。つまり、一番優れたボクサーとされていたのです。当然上位は常連です。実績を見ても当然ですよね。
表から分かる通り、WBAの王座を19度防衛しています。これは世界記録ではありませんが、現役選手の中では1位です。日本記録は具志堅用高さんの13度なので、相当凄いことは伝わると思います。
唯一敗戦となった、サウルアルバレスとは二度対戦しており、2回とも判定に対し賛否両論あります。結果的には、一戦目がドロー、二戦目が判定0-2です。12R戦って判定0-2というのは本当に僅かな差です。二戦目を詳しくみると、113-115×2、114-114です。微妙ですよね。僕の採点ではドローでした。村田選手も「ゴロフキンは実質無敗」と言っているように、アルバレス戦でも負けたとは思っていないみたいです。
そんなゴロフキンは強いだけではありません。人格者としても有名です。
「試合後、ホテルにいた淵上誠選手にコーヒーを自らご馳走した」とか、村田選手もトレーニングキャンプに参加した時の対応を紳士と語っているなど人格者としてのエピソードがあります。
リング上だけではなくリング外での言動が、彼が多くの人からリスペクトされる理由の一つです。
計量日(決戦前日)
ゴロフキン選手の来日〜前日計量を見るだけでファンは夢見心地です。空港にはファンも駆けつけていたようです。
ほんまもんのゴロフキンですやんか
公式計量は両者ともミドル級リミットの72.5kgでパスしました。両者とも良い仕上がりでしたが、特にゴロフキン選手の身体の仕上がりは流石と言うか、恐ろしい身体を披露しました。
また計量日の4月8日は、ゴロフキン選手の40歳の誕生日でした。それを知っていた村田陣営とホテルは粋な計らいをします。バースデーソングとともに花束、浴衣を贈呈したのです。しかも、ゴロフキン選手の双子の弟マキシムさんも同じように祝福しました。マキシムさんは「えっ、オレも!?」みたいな顔をしていましたが、それが日本のホスピタリティです。翌日の対戦相手にそんなことはなかなかできません。これに対しアメリカのメディアも「日本の神対応」的なことを書いたみたいです。
ちなみに、ゴロフキン選手の計量がいつも今回のように落ち着いているわけではありません。特にカネロ・アルバレス第二戦時の計量では一触即発でした。仕掛けたのはカネロですが、額を突き合わせての睨み合いをしました。ゴロフキン選手は相手の出方によっては、毅然とした態度で応じるという一面もあります。カネロは今やパウンドフォーパウンド1位で素晴らしいファイターなので、僕の中ではあんまりそういうことをして欲しくないと思っているのですが。たまにこういうことをやってしまうようです。ゴロフキンとカネロは因縁があるので、仕方ないとも言えるでしょうか。
とはいえ、今回は緊張感がありながらも、温かいムードも流れるという良い計量でした。こんな計量は珍しいです。これを見てファンは益々、翌日の試合が楽しみになったことでしょう。
2022年4月9日
そして、ついにこの日を迎えました。
当日の対戦カードは超豪華です。
「世界フライ級タイトルマッチ中谷潤人vs山内涼太」
「OPBF東洋太平洋&WBOアジアパシフィック・ライト級タイトルマッチ 吉野修一郎vs伊藤雅雪」
一つ一つがメインを張れるほどの好カードです。試合内容はどちらも超ハイレベルで、見応え十分でした。普段だったらそれで十分お腹いっぱいになっていました。「どんだけ贅沢な1日日やねん」という。ドバイワールドカップデーみたいな。
そんな2022年4月9日のメインこそ、
「WBA&IBFミドル級世界王座統一戦 村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン」
村田選手の入場曲はいつも通り『パイレーツオブカリビアン』のテーマ曲です。心なしか曲もいつも以上に力が入っているように聞こえました。村田選手の表情は覚悟の表れか、かなり引き締まっているように見えます。一方、ゴロフキン選手はお馴染みのGGGガウンに身を包み、堅すぎず柔らかすぎずの表情で入場です。
両者の国家斉唱が終わり、いよいよゴングです。
試合詳細
1R
立ち上がり、お互いジャブで様子を伺う。
中盤から村田が徐々に前進を開始。左ボディ、右ストレートを強打。
村田のプレスに対して、ゴロフキンは下がるが、落ち着いて重いジャブをコツコツ当てる。
プレッシャーをかける村田に対して、距離をとりつつ戦うゴロフキンという構図。
2R
ラウンド開始直後、ゴロフキンが前に出る。
負けじと村田はプレスをさらに強め、左ボディ、右ボディストレートをヒットさせ、ゴロフキンを後退させる。
その後、プレッシャーをさらに強め、右ストレート、右アッパーもヒットさせる。
ゴロフキンはボディがきいたのか、落ち着いているだけのか、足を使い距離をとろうとする。
距離が詰まった時には、ゴロフキンもパワフルなコンビネーションを返す。
3R
立ち上がり30秒、ポイントを取り返すように、ゴロフキンは一気の前進で仕掛ける。
しかし、村田は再び左ボディがクリーンヒットし会場は大いにわく。さらに村田がプレスを強める。
村田は鼻に出血が見られるが、構わず前進。
ゴロフキンは村田のプレスに後退し、接近戦では腹を隠すような姿勢をとる。
ラウンド後半も村田のボディがクリーンヒットすると、ゴロフキンは嫌がっている様な表情も見せる。
4R
このラウンドも立ち上がりはゴロフキンが意識的に前に出て、なんとか村田を下げようとする。
村田は負けじと前進し、またも押し返す。
それに対しゴロフキンは無理することなく距離をとり、村田の動きを不気味に観察する。
村田の動きが止まった時には、ゴロフキンは強弱をつけた攻撃でパンチをヒットさせる。
村田は隙をみるや右ストレート、左ボディの強打を放つ。ガードの上からながらも、強力な右ストレートは大きな音が響く。
ゴロフキンは下がりながらもジャブをコツコツ当て、時折、パワーを感じさせるコンビネーションを見せる。
村田はガードを固めて前進し、右ストレート、左ボディを再び狙っていく。
5R
立ち上がりは同じようにゴロフキンが前進。コツコツ当てていたジャブもダメージになっており、村田の眉間は赤くはれている。
村田も左ボディ、右ボディストレートで応戦。
村田は引き続きプレスをかけるが、徐々に体力が消耗しはじめている様に見える。
一方、ゴロフキンもプレスをかけ始め、右アッパーから独特の左フックをクリーンヒットさせる。
それでも村田はひるまず、右アッパー、右ストレートなどをヒットさせ、またも押し返す。
ラウンド後半には村田の左ボディが再びヒットし、ゴロフキンの表情は一瞬変化する。
終了のゴングと同時に、ゴロフキンは右フックを放つが、ゴング音が聞こえ、寸止め。
ここでもゴロフキンの底知れない冷静さを垣間見せる。
6R
このラウンド、ゴロフキンの立ち上がりはゆっくりになる。
それを見て、村田が前へ出る。パワフルな右の攻撃を見せる。
その後、ゴロフキンの右フックがヒットし、村田のマウスピースが飛び出る。が、これでの深いダメージは見られない。
ラウンド中盤以降、村田の手数が減り始めたのを見てゴロフキンは強打を放つ。
村田のガードの外からくるフックを顔面にヒットさせる。
村田はラウンド中盤、この試合ではじめて意識的に休む時間を作る。
ゴロフキンも様子を見つつ、足を使いながらジャブ、フックを軽くヒットさせては休む。
村田は前進こそ続けるが、手数はゴロフキンの方が上となる。
7R
このラウンドも立ち上がりはお互い様子を見ながら。
ゴロフキンは、狙い済まして、村田のガードをかいくぐる様にジャブ、フック、アッパーを放つ。
村田は手数こそ減ってきたが、力のこもった右ストレート、右ボディストレートを見せる。
ラウンド中盤以降、徐々に村田のプレスはゆるくなる。
逆に、ゴロフキンは前進を開始。村田が後退する時間が徐々に増えてくる。
足を止めている村田に対して、ゴロフキンは強弱をつけてジャブ、左フック、右アッパーをヒットさせる。
ラウンド後半、村田が再び前進。強い右を放つ。ゴロフキンは無理をせず落ち着いて、ジャブで距離をとり、ヒットを許さない。
8R
開始直後からゴロフキンは左の攻撃で組み立てる。
その中でガードの隙間を狙って、左フック、右ストレート、右フックの強打も放つ。
ラウンド中盤、ゴロフキンの猛攻を受け、村田はたまらずガードを固めるが、何発か顔面にヒットし、ダメージも見られる。
しかし、その猛攻を凌ぐと村田は再び前進、手数を増やす。
それでもダメージや体力の消耗は見られ、ゴロフキンに押し返され、固まる時間が増える。
ゴロフキンはそれを見て、細かいジャブから右フックを放つが、村田がウィービングでかわす。
村田は止まる時間こそ増えたが、ビッグパンチにはウィービングを使い、間一髪のところで避ける。
9R
立ち上がり、両者は右を放ち、ゴロフキンの右が村田にヒット。それを機にゴロフキンが一気の攻勢で強打をまとめる。
1分経過付近、ゴロフキンの強力な右フックがガードの上からヒットし、動きを止める。
村田が固まったところで、ゴロフキンの右フックがクリーンヒットし、続いて左フックもヒット。
村田は棒立ちになるが、ブロックを固め、必死に凌ぐ。
ラウンド残り1分半、村田はゴロフキンの打ち疲れを見て、渾身の力で反撃に出る。
ここにきて手数を増やし、前進しながら右ストレートを連打。ゴロフキンのテンプルに数発ヒット。
残り1分、前進を続ける村田が左フックを放つ。それに被せる様にゴロフキンは右フックを強打。村田のテンプルにクリーンヒット。
動きが止まった村田を見て、ゴロフキンは追撃の左フックをヒットさせる。村田がよろけるようにキャリア初のダウン。
その瞬間、村田陣営からタオルが投入され、死力を尽くした激闘に終止符がうたれた。
激闘後…
激闘後…
村田選手の試合後リング上でのマイクで「皆さんが試合を見て楽しんでくれて良かったです。そして、二人が無事リングから降りられると思うので、神様に感謝します。」と語りました。それだけの覚悟をしていたのでしょう
そして、ゴロフキン選手はお馴染みのガウンを脱ぎ、「This is Present」と言い、村田選手に自らガウンを着せました。また後の報道では、試合後の控え室でゴロフキン選手は村田選手が持っていたWBAのベルトを「あなたが一生持っておいてくれ」と言って返す姿がありました。両者の讃えあいに感動しました。勝ち負け以上の”何か”がそこにありました。
言葉では言い表せない激闘。魂の削り合いでした。
両者、並の選手ならとっくに倒れているようなパンチを何発も受けながらも、戦い続けました。村田選手、ゴロフキン選手ともに、世界トップクラスだと改めて感じました。
僕の予想でしかありませんが、少し試合に触れます。
村田選手は、作戦かどうかは分かりませんが、序盤から積極的に仕掛けていきました。フルパワーに近いパンチを次々に繰り出していきました。右ストレート、左ボディなどは画面越しでも凄い音が響いてました。その甲斐あって前半は押し勝っていました。ジャッジのポイントでも3ラウンドまでは村田選手が優勢でした。ボディもきかせ、あわやと思う瞬間もありました。
一方、ゴロフキン選手は12ラウンド戦うのを見据えてなのか、基本は細かい攻撃、好きあらば強打を当てていくというスタイルでした。村田選手が前に出てくるなら、逆らわず足を使い、回りながらも細かい攻撃を当てていくという展開です。
この試合で想像以上にゴロフキン選手のボクシングの上手さを感じました。強引に前に行って倒すというイメージが強いですが、「足も使えるんかい!」と。ガードの隙間を狙う技術も凄いし、パンチの強弱、打ち分けも一級品です。また、ジャブなどのパンチも軽く打ってるように見えて、しっかり重いはず。それは村田選手の額の腫れを見ても明らかです。ゴロフキン選手が頂点に君臨し続けた理由は十分理解できました。
村田選手は前半で倒し切るのが作戦だったのか、それとも抑えきれず突っ込んだのか分かりません。しかし、明らかなハイペースだったのは否めません。ゴロフキン選手がマラソンしているのに対して、村田選手は短距離走をやっているような印象です。あのペースだと、後半はさすがに厳しくなってしまいます。かと言って、ゴロフキン選手と12ラウンド削り合うのは分が悪い。ならば村田選手は前半勝負が得意だと思いますし。序盤から仕掛けるのは賢明かもしれません。今回の試合でいうと、「4ラウンドぐらいまでに倒せてたら…」と思います。
とはいえ、村田選手は文句なしの大健闘です。
ゴロフキン選手が今まであんな表情を見せたことがあるでしょうか?あれを苦戦と言わず、何と言うのでしょう。中盤以降、ゴロフキン選手に押される時間が増えてきてからも、負けじと押し返し、右の強打を打つ姿には感動しました。目に相当な覚悟を感じました。
最後はタオル投入での決着でした。あれ以上戦うのはどう考えても危険です。タオルがなかったとしても、レフェリーが止めるべきだったと思います。そうでなければ打たれ強い村田選手はいつまででも戦い続けていたでしょう。
パンチが効いても倒れない選手ほど危険です。パンチが効くと反応速度が落ちて、どんどんパンチを受ける回数が増えていきます。倒れないかもしれませんが、脳へのダメージは確実に蓄積します。その状況での続行は危険です。だから、あそこでのタオルは絶妙だったと思います。
ロンドンオリンピックから約10年、ひとまずファンが思い描いた夢の一つは幕を閉じました。村田選手がボクシングを始めて約20年、憧れだった最強の敵と対峙した末の感情は、常人では計り知れません。進退は分かっていませんが、今はゆっくり休んでほしいです。日本代表として立派に戦ってくれたことを誇りに思います。
まとめ
今回は「村田×ゴロフキン戦」についてファン目線でおおいに語ってきました。
この試合で、心を動かされた人は数多くいるでしょう。ボクシング、格闘技のパワーを改めて感じました。本当に様々な要素が重なった末のビッグマッチであり、期待を裏切らぬ感動でした。
2022年6月には井上尚弥選手も「Amazon Prime Video」でノニト・ドネア第2戦を行うことが決定しています。ちなみに「村田×ゴロフキン戦」を観る前に、僕の中での面白かった試合ランキング1位は「井上尚弥×ノニト・ドネア 第1戦」です。次も激闘になる予感です。これだから格闘技ファンはやめられないです
最後に、村田諒太選手、本当に感動をありがとうございました。
参考
出典 : トップ画『Amazon Prime Video 』